本田 翔平 / Shohei Honda
平成1年11月11日神奈川県出身
2014年 明治大学 大学院修了
2020年 NGH米国催眠士協会 ヒプノセラピスト
およびABH米国催眠療法協会マスターセラピスト 資格取得
2021年 アメリカの老舗サイキックスクール(Berkeley Psychic Institute)で開発されたサイキック教育メソッドを元に、日本人対象にエナジーワークを教えるDelphina Energywork and Medicineにて、リーディング、ヒーリングやエナジーワークのツールの取得とクレアボヤンスを開発する2年間プログラムを修了
ストーリー
幼少期から自分以外の声や存在の感覚を感じていて、6歳頃にはクレアボイス(第6チャクラ、第3の目)の開発をしたいと思い試行錯誤していた。
家庭環境は、両親は一度離婚をしており(その後再婚)、暴力と批判が比較的強く、自分だけが家族の中で孤立している感覚を持つようになった。
中学生頃から、自分の中にある、パワフルなエネルギーと、無価値感や虚無のような暗いエネルギーを両方感じていて、31歳までこのエネルギーをうまく受け止めてコントロールできずに、躁うつの様な感じで振り回されていた。
また家庭は経済的に豊かではなかったため、将来はお金持ちになりたいという漠然とした夢を中学生の頃に持ち、収入や働き方に限界があるサラリーマンになるイメージはあまりなかった。
18歳の頃に占いを始め、経済的に成功した後にスピリチュアルな分野で生きていきたいと思うようになる。
22歳の頃からダンス業界、セミナー業界などでビジネスに関わるも、しっくりくる結果や精神的な満足感はえられず、
29歳の時に、自信もお金も希望も全てなくなったどん底の時に、自分の使命や生まれてきた意味を問い続けていたところ、「人を光に導くことだ」という言葉と共に全身に雷が打たれたような感覚を感じる出来事に出会う。
ここで、いつかスピリチュアルの分野で生きるのでなく、今から自分が好きな事で生きていく必要があると感じる。
その後、ホームレスになり、工場などでの日雇労働と漫画喫茶などで生活しながら、占いを仕事にしようとしたりと自分の道を探っていた。
3ヶ月後にコーチングで成果を出し、ホームレスから脱却。
そこから2年間かけて、日本のスピリチュアルな地や、シャスタ、セドナ、ハワイ諸島を巡りながら、過去の傷を癒やし、自分自身の内面や、スピリチュアルやエネルギーについて探究する。
2021年の8月、質問を主とするコーチングが自分自身の感覚と合わなくなり、運営していたコーチングスクールやコーチングのみの新規の個人セッションを辞め、透視リーディングなどスピリチュアルやエネルギーに関することで生きていく事を決める。